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道に倒れている人をみたら救命処置をするべきか?−“作為責任”と“不作為責任”
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JPY
Abstract
道に倒れている人をみたら医師は救命処置をすべきだろうか? この場合に,見て見ぬ振りをして通り過ぎれば“不作為責任”が問われる.だが,救命処置が適切でなかった場合には“作為責任”が問われる.今日の裁判では,立証困難な“不作為責任”より容易に立証できる“作為責任”のほうが重いことを知っておかねばならない.予防接種をめぐる歴史をみると,かつては社会的には行政(または医師)が,社会防衛に熱心でないことが“不作為責任”だと非難された.だが,裁判で予防接種に伴う副作用情報が開示されていなかったことが明らかとなり,予防接種を行って副作用が生まれた場合に行政(または医師)が,“作為責任”を負うこととなった.作為責任を重視する判決をうけて日本の行政は大転換した.この変化のはらむ問題を東大の手塚洋輔博士の論文が指摘している.一見,この論理は筋が通っているようにみえて,予防接種を受けていない若者に麻疹の流行と学校,大学閉鎖をもたらした.“作為責任”を一方的に強調すると,救急医療で少しでも懸念ある場合は拒否が最良の選択となりかねない危険をはらむ.“作為責任論”の意味とその落とし穴を手塚博士の議論をもとに考えてみたい.
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