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JPY
Abstract
気軽に「カウンセリング」といいますが、これは実践してみるとものすごく奥が深いものです。しかも、正直言って疲れます。それは「相手の身になる」「よく聞く」「感じ取ってあげる」ことが中心で、こちら側が「受け身」「受け取る」仕事が多いからです。これを制約のある身体医療の場で行うのですから、行わねばならない側にとっては「窮屈」「自由がない」「主役ではない」「黒子に徹する」気にさせられ、さらにものすごく疲れるのです。しかも、成果を目に見えるかたちで出すことを身体医療の側からいきおい要求されます。相手をする側(治療者)の心も相当に揺れ、時には困惑し、くたびれてしまいます。いわば、ホームグラウンドではなくビジターで「真剣勝負」をするということは、相当に訓練、経験を積まなければできるものではないのです。当然限界もあり、万能ではありません。いつも「うまくいく」というものではありません。 このあたりを寛大にみて、「いっしょに仕事をしながら育てていってほしい」と願うのです。このような関係であれば、よいコンサルテーション・リエゾン精神科医が今後育っていくのだと思います。身体医療と心の医療が手を結び、「仲間になること」がまずは第一歩でしょう。ただ今後のサイコネフロロジーでは「無力感に耐えていく」ことは、双方にとって大切です。
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