医学のあゆみ
Volumes & issues:
Latest Articles
-
特集 ニューロエコノミクス(神経経済学)とは何か?─ ヒトの価値観が生まれる脳の仕組みの理解とその先の未来
-
-
-
神経科学的手法を用いた幸福度測定への批判的検討
289, 2(2024);View Description Hide Descriptionノーベル経済学賞を受賞したスティグリッツ教授によってまとめられた政策レポートで,“主観的幸福度”の動きに注目しながら経済政策を行うことが提言された.しかし,幸福度を経済政策の評価に使ってよいかどうかは,人間が幸せであると感じる感情の強さを正しく測定できるかどうかにかかっている.ここで問題となるのは,感情の表現の仕方は決して1~10 といった,閉じられた尺度だけで行われるものではないということである.実際,経済学の考え方では人間の感情の表現に上限はなく,いくらでも好きな値をとることが可能とされている.そこで,金銭報酬を得た時の嬉しさの度合いを報告する際の脳活動を記録するfMRI(functional MRI)実験を行い,嬉しさの報告に心理学的な幸福度を用いる時と,経済学的な上限のない自由な方法で報告を行う時の脳活動の差を分析した.その結果,閉じられた尺度(幸福度)を用いた時に喜びの過剰報告が明らかになり,その際,頭頂皮質や線条体の活動負荷が上昇していることから,報酬系のネットワークで相互フィードバックが起きていることが示唆された. -
社会科学における実証研究の展開 ─ 行動経済学を例として
289, 2(2024);View Description Hide Description経済学をはじめとする社会科学研究は,この20 年あまり人を対象とする実験研究を取り入れることで飛躍的な進展を遂げてきた.これらの研究は人文社会科学の研究スタイルを大きく変えただけでなく,神経科学などの異分野融合研究も生み出し,人文社会科学の実証研究のあり方を大きく変えた.このように従来はあまり重視されてこなかった,実験という共通手法の導入は,人文社会科学諸領域の研究を大きく進展させるとともに,分野間の対話と交流を促してきた.本稿では,主に行動経済学の研究を中心にこれまでの研究を振り返りつつ,ニューロエコノミクスなどの近年の研究展開を紹介することを通じて,人文社会科学研究の今後を展望する. -
計算論的アプローチによる強迫症のメカニズム解明
289, 2(2024);View Description Hide Description行動や脳の神経活動の背景にある仕組みを数理モデルによって明らかにしようとする研究方法は,神経科学に対しての“計算論的アプローチ”とよばれる.近年,精神疾患を対象として,この計算論的アプローチを用いることで,疾患の仕組みを理解しようとする“計算論的精神医学”が注目を集めている.筆者らは,強い不安とそれを一時的に軽減するための繰り返し行動で特徴づけられる強迫症(強迫性障害)について,症状の仕組みを明らかにする計算論モデルを作成した.また,そのモデルから予測された変化が,実際に強迫症患者にみられることを示した.さらに,強迫症の治療において最も有効とされる行動療法や薬物療法のメカニズムを計算論モデル,実験データを使って解明した.これらの成果は,患者の特性に応じて,どういった治療が最適かを選択する有力な手がかりとして応用できる可能性がある. -
精神医学と神経経済学 ─ 計算論的精神医学
289, 2(2024);View Description Hide Description精神疾患は定義上,何らかの行動の異常があり,行動異常の手前のプロセスには行動選択の異常,つまり,意思決定が多かれ少なかれ想定され,意思決定のパターンは脳科学を含めた生物学的研究と対応させる認知中間表現型として有用であることが期待される.意思決定という主観的なプロセスを客観的に評価するのが困難であったが,行動経済学,神経経済学のツールを用いて,精神疾患の意思決定の障害を客観的に評価することが行われている.計算論的精神医学の本来の狭義の使い方は,脳を情報処理するコンピュータになぞらえ,脳が情報処理する際のアルゴリズムの異常として精神症状を理解しようという立場であるが,脳ではなく,最終表現型である行動異常を数理的に評価しようという立場も,広義の計算論的精神医学に含まれる.本稿では,行動経済学や神経経済学の考え方を応用して精神症状を評価する計算論的精神医学の自験例を紹介する. -
意思決定の神経基盤解明のための行動課題の開発
289, 2(2024);View Description Hide Descriptionヒトの行動原理を探究するうえで,“計算神経科学”というアプローチが有効となる.計算モデルとパラメータにより疾患症状の評価や個人特性の推定を行うためには,効果的な行動課題が肝となる.本稿では,筆者らが開発し,強迫症の行動を再現できる計算論モデルの検証に用いた行動課題を紹介するとともに,神経基盤解明のための効果的な行動課題について考察する. -
ヒト神経経済学 ─ 他者との駆け引きを支える脳の仕組み
289, 2(2024);View Description Hide Descriptionわれわれは社会のなかで他者と相互作用しながら生きている.社会的環境での意思決定にはしばしば“他者との駆け引き”が伴う.この駆け引きでは,直接観測できない隠れ状態である“他者のこころ”を推測し,それに基づいて自分の行動を選択することが重要である.この種の行動選択は戦略的意思決定とよばれ,個体間の餌や異性をめぐる争いから,集団内での利害調整,企業間の競争,国家間の外交に至るまで,さまざまな場面で広くみられる.本稿では,脳機能計測(fMRI;機能的磁気共鳴画像法),脳刺激(TMS;経頭蓋磁気刺激法),ゲーム理論などの手法を組み合わせた筆者らの研究を中心に,ヒトの戦略的意思決定をつかさどる神経メカニズムに関する神経経済学研究を紹介する. -
単一行動の神経経済学 ─ サルの神経・分子基盤
289, 2(2024);View Description Hide Description神経経済学では,一般的に複数の選択肢が存在する状況での意思決定メカニズムが扱われてきた.しかし,日常生活ではしばしば目の前の課題や行動に対する“する”か“しない”かといった判断が求められる.本稿ではこのような単一行動を実行するかどうかの判断に焦点を当て,サルをモデルとして,行動が報酬など外部変数と内部状態によってどのように説明できるかについて概説する.また,サルの単一行動の判断に関する多角的な神経科学研究を紹介し,その神経・分子基盤について統一的な見解を提供する.これらの知見は複数選択肢の状況でのヒト神経経済学での理解とも一貫しており,動機づけやうつ症状などの病態を含んだ神経基盤の統一した理解を発展させることが期待できる. -
霊長類の行動進化と神経経済学─ 線条体とドパミンの多元的価値表現
289, 2(2024);View Description Hide Descriptionわれわれには霊長類特有の価値判断システムが備わっているかもしれない.これまでの研究により,霊長類の大脳基底核には齧歯類ではみつかっていない脳機能が存在していることが明らかになってきた.特に霊長類において顕著に発達している尾状核は,多元的な価値表現を持つ.尾状核の尾部では経験に基づく価値表現がみられ,尾状核の頭部では状況に応じて変化する価値表現がみられる.この価値表現の多元性は,脳内において価値が一元化されているとする“脳内共通通貨仮説(neural common currency hypothesis)”と対立する.近年,蛍光ドパミンバイオセンサーによりドパミン動態を計測する技術が開発され,精度高く脳内の局所的なドパミン放出動態が計測できるようになった.これにより,価値情報を伝達するドパミン信号も線条体部位ごとに異なることがわかりつつある.本稿ではマカクザルの知見を基に,われわれの脳が多元的な価値表現を持つ理由について論じる. -
科学の方法的哲学と潜在能力アプローチ
289, 2(2024);View Description Hide Description本稿のベースとなる研究のポイントは,観測された個々人の機能ベクトルを基に,観測されない個人の潜在能力をいかに推定するかにある.これに対する従来の標準的な解答は,多数の傾向性を連続的に引き延ばすことである.おそらくビッグデータに基づく生成AI の論理もそれに尽きるであろう.しかし,その方法は普遍性,一般性,標準性,完備性を当是とするリベラリズムの轍を踏むことにならないであろうか.これまで経済学が陰画的に明らかにしてきたことは,標準ケースの普遍化という方法では,困難ケースを包含できないどころか,標準ケース間の協力すら実現できないこと,困難ケースへの配慮こそが協力を促す契機となることであった.本稿が紹介する潜在能力アプローチは主流派経済学の最大の理解者であるとともに,最大の批判者でもある.脳科学との本格的な対話の素材として紹介したい.
-