医学のあゆみ

Volume 290, Issue 10, 2024
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【9月第1土曜特集】 性差医学の現在地─最新知識とエビデンス
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性差医学の歴史─日本導入から四半世紀,米国の動向も踏まえて
290巻10号(2024);View Description
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1999 年の第47 回日本心臓病学会において,筆者は1990 年代に米国で国策として展開されていた,性差を考慮した医学(GSM)について紹介した.2002 年には性差医学における教育と学際的な研究の促進を目指し,性差医療・医学研究会を発足させた.研究会はその後,2008 年に日本性差医学・医療学会へと発展し,日本における性差医学・医療を牽引してきた.政府は,2003 年には厚生労働省「医療提供体制の改革のビジョン」で,2005 年,2010 年,2015 年,2020 年には第2 次から第5 次男女共同参画基本計画で,「生涯を通じた健康の保持のためには,疾患の罹患状況や健康の社会的決定要因とその影響が男女で異なることなどに鑑み,性差に応じた的確な保健・医療を受けることが必要である」と強調してきた.2024 年には,女性の健康ナショナルセンタ-(仮称)の設立が予定されている.女性特有の疾患や性差医療に関する研究開発などを推進し,女性が人生の各段階でさまざまな健康課題を有していることを社会全体で共有し,女性が生涯にわたり健康で活躍できる社会を目指すことになる. -
性差医学総論
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性差医学とは,男女のさまざまな差異に基づき発生する疾患や病態の違いに関する学問であり,それに基づいて実践する医療が性差医療である.また,根本的には男女比が圧倒的に一方の性に傾いている病態,発症率はほぼ同じでも男女間において臨床的に何らかの差が認められる疾患,いまだ生理的・生物学的解明が男性または女性のいずれかにおいて遅れている病態,社会的な男女の地位と健康状態に関連性が認められる病態などに関する幅広い研究を行い,性差に関する視点を疾患の診断,治療,予防措置などへ反映することを目的とした医療改革の一面も備えている.日本語では“性差”と1 つの言葉で包括されるが,英語では“Sex”と“Gender”の2 つの言葉があり,“Sex”は生物学的・医学的な性差であり,“Gender”はSex に付加された社会的・文化的な性差を意味する.“性差医学”はこの両者を包含し,医学的な内容だけではなく,広く社会的・文化的な範囲をカバ-する幅広い概念を有する学問である. -
心疾患における性差
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女性ホルモンには心血管系に対する種々の保護的作用があることが知られており,閉経を含めて心疾患の性差に影響していると考えられている.急性心筋梗塞をはじめとする虚血性心疾患の発症率は男性と比較して女性では低いが,いったん発症した際の予後は女性が約2 倍不良であることから,注意が必要である.男性と比較して女性の心不全患者は,高齢で多くの合併症を認めるとともに左室駆出率が高いといった特徴がある. -
呼吸器疾患に関わる性差
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免疫に関わる複数の遺伝子がX 染色体上に存在し,免疫応答は女性に強い傾向がある.これは,新型コロナウイルス感染症(COVID-19)重症化の性差や肺炎の重症化リスクの性差にも影響している.ただし,肺非結核性抗酸菌症の結節・気管支拡張型は女性に多い.上気道の解剖学的な性差やプロゲステロンによる換気の刺激によって,閉経前の女性では睡眠時無呼吸が少ない.また,女性で咳反射が亢進していて,慢性咳嗽は女性に多い傾向にある.気道過敏性も女性のほうが亢進していて,成人の喘息患者数は女性のほうが多い.肺の画像解析からは,男性で気腔の拡大傾向がみられ,女性で気管支内腔が狭い傾向がみられる.このことは,慢性閉塞性肺疾患(COPD)の特徴に影響している可能性があり,喫煙が気流閉塞をきたすリスクは女性のほうが高い.また,中等度の気流閉塞では,女性のほうが男性より健康関連QOL が悪いとの報告もある. -
消化器疾患における性差
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消化器疾患においても罹患率や成因,病態,予後などに性差が認められる.明らかに男性に多い消化器癌は,食道癌と分化型胃癌,肝癌である.性別により発症の危険因子が異なる可能性が報告されているのは,食道癌,機能性ディスペプシア(FD),未分化型胃癌,非アルコ-ル性脂肪肝炎(NASH),膵癌である.症状に明らかな性差があるのは過敏性腸症候群(IBS)で,下痢型IBS は男性,便秘型IBS は女性に多い.下痢型IBS の治療薬である5-HT3受容体拮抗薬では,女性の至適用量は男性の半量である.また,女性は男性より短期間の飲酒でアルコ-ル性肝障害やアルコ-ル性膵炎になりやすいとされている.一方,女性に多いとされてきた胆囊結石のように,生活習慣などの変化により罹患数の男女比が逆転することもある. -
メンタル疾患における性差
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主なメンタル疾患のなかで,うつ病,社交不安症を除く不安症,適応反応症,心的外傷後ストレス症(PTSD),神経性やせ症,神経性過食症は女性に多い.うつ病は有病率だけでなく,その臨床像などにおいても性差が認められる.女性のライフサイクルにおいて内的なエストロゲン量が大きく変動する周産期や更年期はうつ病の発病リスクが高くなることが想定される.自閉スペクトラム症,注意欠如・多動症(ADHD),限局性学習症,アルコ-ル依存症やギャンブル行動症は男性に多い.妄想症,統合失調症,双極Ⅰ型症,社交不安症,病気不安症における有病率の有意な性差は認められない.しかし,統合失調症は有病率に性差はみられないものの,その臨床的な特徴には明らかな性差がある.双極Ⅱ型症や解離性同一症などでは有病率の性差が調査により異なり,一定していない.月経前不快気分症(PMDD)は,その症状が知られるようになってから正式な診断名として承認されるまでに80 年余りかかった. -
老年医学における性差
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高齢者にもさまざまな疾患の頻度や病態に性差を認める.特に老年医学的に重要な課題である要介護,フレイル,認知症,ケアの問題には明らかに性差があり,いずれも女性で罹患率や関連する問題が大きい.性ホルモンなどの生物学的な性差に加えて社会的な性差の影響も大きく,今後の研究推進に加えて,医療介護制度など社会全体で対応していく必要がある. -
産業医学における性差
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産業医学における性差は,健康の社会的決定要因(SDH)として重要である.生物学的性(セックス)および社会文化的性(ジェンダ-)は,構造的決定要因としての社会システムとの相互作用により,教育,雇用,収入に影響を及ぼす.近年,健康格差是正の動きが行政でもみられており,女性特有の疾患に対する経済損失試算など,健康が経営に及ぼす影響にも関心が集まっている.若い世代は,男女ともに多様な生き方,働き方を希望しており,令和モデルに即した対策が必要になってきている. -
男性医学
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男性医学の歴史は紀元前からはじまり,19 世紀から20 世紀にかけて急速に発展を遂げた.20 世紀後半には国際的な高齢化に対応する形で国際Aging male 研究会が創立され,それに呼応する形でわが国でも2001年に日本Aging male 研究会が発足した.超高齢社会であるわが国では中高年男性の健康維持は急務の課題となっており,LOH 症候群や男性更年期障害といった疾患概念は社会的関心を集めている.2022 年には15 年ぶりに「LOH 症候群(加齢男性・性腺機能低下症)診療の手引き」が改訂され,テストステロン治療認定医を中心に広く診療が行われるようになっている.診断・治療法については確立されつつあるが,患者背景や転帰については明らかになっていない部分が多く,デジタル端末を利用した大規模調査が今後期待されている. -
性差とライフステ-ジを意識した女性の健康促進に向けて
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日本女性の平均寿命は世界一であり,100 歳を超える百寿者の割合も約90%が女性である.しかし,平均寿命と健康寿命の差は約12 年あり,健康寿命の延伸は喫緊の課題である.日本では,女性医学・女性の健康に関する学会として,日本産科婦人科学会や日本性差医学・医療学会が女性医学・医療を牽引している.米国では,1990年に米国国立衛生研究所(NIH)内にORWH(Office of Research on Women’s Health)が設置され,30 年以上,sex とgender 両者を含む性差を意識した女性の健康に関する研究が遂行されてきた.わが国でも近年,女性特有の生殖器に関する疾患・病態の解明だけでなく,性差を考慮した女性の健康の促進が注目されている.女性特有の疾患や病態に関する研究とともに,男性・女性ともに罹患する疾患や病態における性差研究,gender の視点を包括する研究を促進することが女性医学・医療の発展,女性の健康を促進し,健康寿命延伸のブレイクスル-になるのではないかと考える. -
薬物動態の性差
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薬物動態とは,薬物が体内に投与されてから排泄されるまでの過程を指し,吸収(absorption),分布(distribution),代謝(metabolism),排泄(excretion)の4 つの過程がある.これらの過程には性差が存在し,男女で生理学的過程や分子機構が異なることが報告されている.薬物動態の性差は,薬物の効能や副作用の発現に影響を与える.経口投与では,男性の消化管通過時間が短く,P-glycoprotein(P-gp)の発現が高いため,女性のほうが薬物の吸収効率が高い場合がある.吸入薬では,男性の肺胞表面積が大きいため,薬物の血中濃度が高くなる傾向がある.薬物の分布,代謝,排泄過程でも性差が認められ,特にシトクロムP450(CYP)酵素の活性や腎排泄の速度に違いがみられる.最近では,膜プロテオミクスやシングルセル解析などの新技術が導入され,性差のメカニズムが少しずつ明らかになりつつある.今後,性差を考慮した薬物治療が進展し,より適切な医薬品の使用が期待される. -
薬剤師からみた性差医療
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医薬分業の進展により,薬剤師は患者の医薬品の適正使用に責任を持つ立場となった.医薬品の副作用発現は女性のほうが男性よりも発生頻度が高く,性差があることが知られており,性差を意識した薬学的管理指導を実践し,副作用の発現防止に取り組むことも重要な役割である.本稿では,医薬品の副作用発現のリスク因子として性別に着目し,薬物動態の諸過程や腎・肝機能への性差の影響,また医療従事者が医薬品情報を得るために最も高頻度に活用する添付文書中の性差情報について,日米の違いを解説する.さらに,同一成分における先発医薬品と後発医薬品の添付文書は同質ではなく,後発医薬品メ-カ-により性差情報がない,あるいは一部不足するなど,添付文書が統一されていない問題について整理する. -
性差医療における助産師の役割
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女性の健康支援における政策として,2005 年に男女共同参画基本計画(第2 次)において“生涯を通じた女性の健康支援”が今後の施策の基本的方向と具体的な取り組みのひとつとして取り上げられ,“性差に応じた的確な医療である性差医療を推進する”ことが明記された.2024 年度に創設される“女性の健康ナショナルセンタ-”は,女性の健康に関するデ-タセンタ-の構築,女性のライフコ-スを踏まえた基礎研究・臨床研究の推進,情報収集・発信,政策提言,女性の体とこころのケアなどの支援を行う.これにより,女性だけでなく社会全体の健康水準の向上が期待される.助産師は生涯にわたる女性の健康の支援者として,身体的,心理的,社会的な健康の側面を統合的に捉え,身体の構造,ライフスタイルの性差にも注目し,女性の意思を尊重した個別的なケアの提供が求められる. -
医学教育における性差と性差医学教育の導入
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医学教育における性差の認識・対応は,学修者が平等なカリキュラムのなかで学ぶために非常に重要である.そのためには性差そのものの基盤と適切な対応について研究する必要があるが,まだ研究の進んでいない点もあり課題は多い.また,学修者側の性差だけでなく,性差医学の学部教育の導入・配置も重要な観点である.これは,将来の医療関係者・研究者が性差医学を正しく認識し,すべての患者に公平かつ効果的な医療を提供するための土台を作る.さらに,医学教育においては卒後進路を含めた将来像を描く必要があるが,特に女子学生にとってはロ-ルモデルとなる女性医師の人数がまだ十分とはいえず,ライフイベントに関する不安も大きい.本稿では,医学部における性差についての基本的な現状に加え,性差に配慮した教育カリキュラムや実習体制の課題,そして性差医学教育導入と継続的なサポ-ト体制の構築について述べる. -
性差医学・医療認定制度の概要と展望
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わが国のジェンダ-・ギャップ指数は,2023 年過去最低の126 位と低迷しており,日本の性差医学・医療に対する意識の低さが大きな要因のひとつである.日本性差医学・医療学会では,認定制度委員会の組織として認定カリキュラム委員会と研修制度委員会を設けた.本学会のミッションである性差を意識したヘルスケアを実践できる人材を養成するべく,2021 年度に性差医学・医療認定制度を開始し,2022 年度に申請受付を開始した.本制度では,本学会認定による認定医あるいは認定指導士を取得することができる.制度の概要を学会ホ-ムペ-ジにまとめたが,必須講座を設定し,更新は5 年ごとに認定医は30 単位,認定指導士は20 単位を取得する必要がある.2023 年12 月現在,認定医56 名,認定指導士15 名,合計71 名となっており,学会ホ-ムペ-ジで認定医および認定指導士の公表を行っている. -
ジェンダ-統計
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本稿の目的は,日本のジェンダ-統計をめぐる議論を整理し,現状と課題を検討することにある.まず“ジェンダ-統計”の定義を確認し,次にジェンダ-統計に関する国際動向を整理し,3 回の転換点があることを捉えた.性別欄に性的指向・性自認(SOGI)を含む区分を導入した国々がある一方で,日本の政策に“ジェンダ-統計”が位置づけられたのは2015 年ごろからで,男女別統計の整備途上(第2 の転換点)であることを明らかにした.また,「ジェンダ-統計の観点からの性別欄検討ワ-キング・グル-プ」の議事録などを分析し,性別欄廃止を支持しない点では一致したが,多様な性への配慮方法(ジェンダ-の範囲や性別の尋ね方など)では一致しなかったことを明らかにした.最後に,保健衛生におけるジェンダ-統計の現状を捉え,業務統計中に性別を3 区分としている統計があることを見出した.これらの動きを踏まえ,日本のジェンダ-統計が第3 の転換点の入口に差し掛かっていることを指摘し,今後の議論の必要性を論じた. -
性差医療とオ-プンイノベ-ション
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性差医療はまだ多くの克服すべき課題を抱え,エビデンスがあっても社会実装されていない課題もある.既存の方法で解決できない課題について,新たな知識や方法を取り入れて(結合し)その課題の解決に臨むことがある.経済学の分野で,停滞した経済を発展させるための手法としてイノベ-ションという概念があり,それを発展させたものとしてオ-プンイノベ-ションがある.すべての患者が平等に医療の恩恵を受けることができるエコシステムを構築するためには,オ-プンイノベ-ションの考え方を取り入れることが必要である.オ-プンイノベ-ションを取り入れることで垂直の関係ではなく水平の関係で研究開発を進めることができる.性差医療においては男女の格差が大きな障害になっていることも忘れてはいけない.性差医療の課題解決をオ-プンイノベ-ションの視点から取り組むことは,この格差を解消するためにも必要なことであると考える. -
性差医学・医療─ベッドサイドからジェンダ-ド・イノベ-ションまで
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性差医学・医療は,病態,診断,治療,予防などにおける生物学的性差,社会・文化的性差,ライフステ-ジを配慮し,診療の質と精度の向上を目指す.ジェンダ-ド・イノベ-ション(GI)は,性差を考慮し科学技術などの革新を促進する.また,ICT を活用するデジタルヘルスは,遠隔医療やAI による解析などの質の高い医療サ-ビスの提供を可能にする.日本におけるGI 先進例として,日本医療研究開発機構(AMED)受託研究『女性診療を支援する「AI 診断ナビゲ-ションシステム:WaiSE」の開発』があげられる.WaiSE(ワイズ)は,デジタルヘルスを用いて性差医学に基づき女性の多様な症状を把握し,可能性がある疾患と鑑別に必要な検査,受診科を提示し,性差を考慮した個別化医療へ導く.医療者が臨床での課題に気づきイノベ-ション・マインドを持つことで,新たな診断,治療,疾病予防へつながる可能性がある.今後も性差医学とGI の進展により,包括的で公平な医療が提供されることが期待される.
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